旅立つBerryz工房へ ファンから最後にたった一つだけわがままを

はじめに

先の3月3日に日本武道館にて行われた「ラストコンサート2015 Berryz工房行くべぇ~!」に行ってきた。そこで得られた所感を様々なシーンに触れつつ、ねちねちと述べていく。純粋なレポともコラムともつかないものになってしまった上、出来事も時系列順でなくて読みにくくて申し訳ない。

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最後まで“ライブ職人”に徹したBerryz工房

「なんかラストって感じあんましてないんだけど・・・」

キャプテン清水佐紀が衣装着替えMC中に何気なく発したこの一言が、このライブの楽しさを象徴する。「3月3日が来てしまった」とややもすると内向きにこもってしまいそうなファンの心を、最高のライブで温め、やさしく溶かしてくれた。明日からはBerryz工房が活動停止期間に入るなんて忘れて楽しめたファンの方は多いのではないか。ほんとうに、それくらい楽しいライブだった。

内容にも少しだけ踏み込もう。“ライブ職人”として名高い彼女たちの並々ならぬこだわり、そして矜持が感じられるライブであった。

まず筆者が検証した限りでは、ダブルアンコール含む全24曲はフルコーラスで歌われた。歌詞を覚える労力やライブ中の消耗も増し、さぞ大変であったことだろう。活動停止発表前後から、さまざまなイベントでの自己紹介を、名前を述べるだけの簡単なものにとどめることが多くなったように思う。その分、パフォーマンスに充てる時間を長くするねらいが垣間見える。このライブの構成にも同じねらいを感じた。一曲一曲を大切にすること、あくまでも音楽にこだわって伝えること。それはまさにプロフェッショナルのライブであった。

いわゆる卒業セレモニーは、メンバーからファンへのメッセージという形をとって行われた。うれしかったのは、正直な心境を吐露してくれたことだった。11年間の活動の中に、想像を絶するつらさがあったのは、ファンならばだれしもが自ずと知るところだが、それを包み隠さず言ってくれてスッキリした。本当に良かった。これもBerryz工房とそのファンだからこそなせる業である。

小学生から人前でかわいい衣装で歌うことを夢見、Berryz工房としてのキャリアをスタートした彼女たち。ラストライブはまさに集大成と呼ぶにふさわしいもので、それを彼女たちが小学生のころから勉強をして書き続けてきた答案に見立てれば、大きなはなまるに100点満点、いや、120点と書いて返却してあげたい。

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メンバーひとりひとりに向けて

録画したライブの生中継を見返すと、やっぱりひとりひとりもスゴかった。文章を書くにあたり、まだ一度観たっきりだが、画面から液晶が漏れ出るほど、これから何度も何度も観たい。それだけ、ひとりひとりがキラキラしていた。

清水佐紀

有明コロシアムにて行われた「Berryz工房祭り」の3部中盤の衣装で、佐紀ちゃんの手首には、メンバーカラーである黄色の大きなリボンが巻かれていた。大きなリボンと細くて白い佐紀ちゃんの腕。清水佐紀はその小さく華奢な体のいったいどこに、会場を包み込んでしまうほどの大きな愛とエネルギーを秘めているのだろう。

図抜けたダンスの才能や、Berryz工房をのびのびとした良さを残したチームにまとめ上げたキャプテンシーには、誰もが目を瞠る。でもどんなに褒めようとも「いえいえ、、」と謙虚に振る舞う佐紀ちゃん。金木犀のような素敵な女性になった。金木犀の花言葉は「謙虚・謙遜」、秋に小さく黄色い花を咲かせ、華やかな香りを放つ。

嗣永桃子

怒涛の4日間は、Berryz工房のメンバーがホントに大好きなんだと言わんばかりに“スキスキ攻撃”を仕掛けまくっていた。こころなしか、メンバーもこの4日間だけは“拒否反応”が薄かったように見えた。有明公演の1日目の「Be元気<成せば成るっ!>」では、佐紀ちゃんの腰に手を回し、ぴったりとくっつくお馴染みのちょっかいを披露。佐紀ちゃんのダンスの邪魔にならない程度にやっていたのだが、事件が起こったのは有明2日目の同じ場面。同じように抱きつくと、とうとう佐紀ちゃんを振り返らせなかった!ラストライブとなった武道館公演でも、「世の中薔薇色」の千奈美と対面して手を合わせて踊るシーンでは笑顔で千奈美に迫ったり、「ライバル」では熊井ちゃんにちょっかい出したりと大忙しであった。私の目とカメラが捉えたのは、氷山の一角にすぎない・・・。(ももちってこういったちょっかいはリハーサルとかでもやっているのかなぁ?)

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今後について少し。弟が居ることもあって、面倒見がいいももち。彼女が関わっての活動が本格化するカントリーガールズでは、既存のストイックももちとアイドルももちに、新たに“お姉さんももち”を加えた“トリプルA面ももち”が見られることだろう。ところでももちは、学ランや制服を着ていて明らかに自分より年下だと分かるファンに対しては、なんというか、ちょっと対応が違う気がする。ファンに対してはなかなか出さない“お姉さんももち”が出ている。コスプレになってしまうけれど、見た目に自信のあるファンの方は是非挑戦してみては?

徳永千奈美

おさるに扮しての「行け 行け モンキーダンス」と「I’m so cool!」は千奈美の独擅場。矢継ぎ早に繰り出される“おふざけ”のレパートリーを出し惜しみすることなく発揮し、ファンを沸かせた。コミカルながらもコケティッシュな千奈美の魅力が存分に発揮された一幕であった。こうしてプロの技として私たちファンに披露される“おふざけ”には、恐らく練習もリハーサルもないだろう。強いて言えば、Berryz工房で過ごす毎日がそのまま“おふざけ”の練習であって、そこで自然に発生するものをそのままファンに提供しているのだろう。そしてその中心にはいつも千奈美がいる、そう確信したラストライブであった。

Berryz工房が昔にリリースしたまっすぐな歌詞の曲の数々が今でも胸を打つのは、千奈美の存在が大きかったように思える。ごく個人的だが、千奈美の歌う「単純すぎなの私…」が大好きだ。「君が好きで 君になりたいくらい 君が好きで」というこの歌詞の世界観から、千奈美は抜け出してきたんじゃないかと、本気で何度も思った。これからもずっと、まっすぐなメッセージを届けられる千奈美でいてほしい。

千奈美なので最後はRAPで締めさせていただく。

♪涙は君に 似合わナイ!

♪やっぱり笑顔の 千奈美がみタイ!

♪語り継がれる おふざけの天サイ!

♪明るい未来に 期待しタイ!

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須藤茉麻

武道館オープニング、まばゆい照明に照らされ、クローズアップされた茉麻の笑顔が忘れられない。覚悟の決まったキリリとした表情と、少し照れくさそうにしながらもファンの声援をうれしそうに受け止める表情が絶妙にブレンドされたあのステキな笑顔はもはや、「アイドルに興味がありませんでした」と語った12年前のものではない。正真正銘、ファンに愛された“Berryzの茉麻”の笑顔だった。

歌が苦手と語る本人だが、武道館のステージではそんなことも一切感じないくらい堂々と歌ってくれた。また、とりわけすばらしかったのはスピーチで、落ち着いた口調とはうらはらにすでに様々なメディアで報じられているような衝撃告白があった。最終的には歌とダンスに幸せを感じるようになったと表明し、ファンとしてこれ以上ないくらいうれしい言葉を頂けたと同時に、ほっとした。

夏焼雅

私が会場入りするとまず目に飛び込んできたのが、ステージ上のそびえ立つ巨大なお城のセット。おとぎばなしの世界に迷い込んでしまったかのような豪華なお城のセットを目の前に、あの日の雅ちゃんのことを思い出さないファンはいないだろう。そう、2013年11月29日(いいつんく♂の日)に、クラウンを被りここ日本武道館に降り立ったプリンセス雅ちゃんのことを。「あぁ、あれから1年半か。あのときはクラウンだけだったけど、今ではこんなに立派なお城に住まっているんだなぁ。」と、プリンセス雅ちゃんのストーリーに新たなページを書きくわえたのは、私だけではないハズ。いやぁ、それにしても、雅ちゃんの人生は文字通りの“シンデレラストーリー”で、これを運命と言わずして何と言おう。

ライブではいつも通りの、歌やダンスはもちろん細かいしぐさまで総合して完成された雅ちゃんがいた。細かいしぐさや立ち振る舞いなどのすべての面で“完成している”と思わせる何かを持っている雅ちゃん。上手く言えないがその過程には、“もっとこうなりたい!”という強い憧れを原動力にして(ポテンシャルはあったが)、自分を理想に近づける作業の繰り返しがあったような気がする。何となくそんな気がするという程度の予想でしかないので、根拠はない。でも、何となくそんな気がする!

熊井友理奈

武道館ラストライブの熊井ちゃんは、表情がデビュー間もないころのそれとそっくりに見えた。考えてみたが、こればっかりはなぜだかわからない。それほど当日の熊井ちゃんはリラックスして、表情が柔らかかったということかもしれない。

「なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?」の歌詞、「大声で叫びます フルネーム」の箇所では手を耳に当てて自分の“フルネーム”が叫ばれているのを「届いているよ!」といった風に聴いてくれた場面がうれしかった。ファンは叫ぶとかペンライトを振るとか簡単な応援しかできないが、うれしそうに受けとめてくれている熊井ちゃんは、今日も本当にかわいかった。

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菅谷梨沙子

ステージに立った瞬間、会場の雰囲気をガラッと変える。たとえ歌を歌う前でも、梨沙子がステージに“いる”だけで、照明や音響の効果を軽々と乗り越えて、フワッと華やかできらびやかな空気感を生む。それは、今回のラストコンサートでもそうだった。フロントマンとしてこれ以上ない才能を見せてくれた。

しかし才能は時に残酷で、Berryz工房の最年少である彼女に、一番重い荷物を背負わせた。歌うこと、演じること、おふざけすること(武道館のおさるの動きもそう)。何をやっても他人とは違う輝きを放ってしまう自分の才能に複雑な思いがあったからこそ、より強く“普通”に生きていくことに惹かれたのかもしれない。2002年のキッズオーディションで右手を骨折した姿で私たちの前に現れた梨沙子。あの頃からずっと変わらないのは、そこにいるのに、触ろうとしてすっと手を伸ばすと、フワッと消えてしまうような独特の雰囲気だ。

ラストライブ中に8曲目に歌われた「秘密のウ・タ・ヒ・メ」は、まさにこの梨沙子の独特の雰囲気に着想を得たものなんじゃないかと、勝手に思っている。この日も、あふれ出る感情を心地よいゆらぎに変えて、素敵に歌いあげてくれた。また歌いたくなったら、是非教えてほしい。どこへでも駆けつけて聴きに行くつもりだから。

Berryz工房とファン

散々わがままを言ってきたのを自覚しておいて、こんなことを書くのもなんだが、最後にもうひとつだけわがままを言わせてほしい。そのわがままとは、“Berryz工房のみんなが何年後かにちゃんと幸せになってほしい、願わくは知らせてほしい。”ということだ(もっとも、それを知る権利など無くて当然なのだが)。彼女たちは、Berryz工房を愛したすべての人に、たくさんの幸せの“貸し”がある。そして、彼女たちを応援するファンのために、自らの人生、しかも一番輝かしい時間である青春を制限してしまった。私たちファンの立場から言えば、他人の人生に介入してしまった感すらある。それは分かっている。分かっていながら最後まで厚かましい私を、どうか許してほしい。

活動停止後の彼女たちの幸せを願うファンは多い。Berryz工房のメンバーが私たちと全く関わりのない世界で生きていても幸せを願うのは、彼女たちが私たちに見せてきてくれたものが、彼女たちという人間の“まるごと”に由来するからであろう。これに関してはゲストライターkogonil氏の記事“笑顔が眩しすぎるから(GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~ ブルーレイの特典映像)”の“全人的関与を期待されること”に詳しい。私の強く共感する考え方なので、引用させていただいた。以下に私なりの解釈を記す。

彼女たちは、自分をまるごとステージの上にのせています。実際には、そんなことはなかったとしても、そうであることを期待される。

「歌」とか「ダンス」とか「トーク」とか、そういったスキルが「私」という人格と切り離されて個別に評価されるわけではなく、「努力」とか「研鑽」といった背景を、「自分」と切り離して独立に鑑賞されているというわけではなく、アイドルである「私」込みで、「この自分」に全部を背負わせて、彼女たちはファンに対峙しています。繰り返し、実際には、そんなことはなかったとしても、そうであることを期待される。

私たちファンの側だって、このあたりは上手に言葉にできないところです。歌がすごいとか、ダンスが上手とか、いろいろ個別の要素はいくらでも出せますけど、「だから好きなんだ」というわけではない。やっぱり、個々の要素や背景や、個別に切り出されてくるいろんな部分ではなく、どこかで丸ごとファンになっている。そういうファンの側の目線を踏まえて、アイドルは「丸ごと」であることを期待される。
笑顔が眩しすぎるから(GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~ ブルーレイの特典映像) | エンタメアライブ

もしもパラレルワールドが存在し、熊井友理奈が2002年のキッズオーディションを受けていなかったとしよう。こう仮定したら、彼女は今頃普通の大学生だっただろう。あるいはバレーボールをやっていて、かわいくて背も高くて、地元では有名な選手だったかもしれない。でも私たちが好きなのは、たとえ性格やくまくま感がそのままだったとしても、この熊井友理奈ではない。別の仮定もしてみよう。ライブでは、そつなく歌って踊って愛想よくお辞儀をして去っていく完璧な熊井友理奈がいたとする。喩えるならばロボットで、いわゆる“スキル”では他の追随を許さない。ところがこれもまた、私たちが好きな熊井友理奈ではない。

つまるところ、じゃあどの熊井友理奈が好きなんだ?という問いに対する答えは、私たちファンが“知っているところ”も“知らないところ”もひっくるめた“まるごと”の熊井友理奈なのだ。何かひとつが欠けてもいけない。そしてこのように思っているからこそ、活動停止後に私たちの“知らないところ”に該当する部分が多くなる熊井友理奈にも幸せになってほしいと願うのだ。(説明するためにこんなに名前を軽々しく連発してしまいごめんなさい、熊井ちゃんとファンの方々。)

特にBerryz工房のメンバーとファンの関係は、上に述べたこの点に触れなければ語れない。「ファンの人たちが楽しいと思っているのは・・・」とか、「セットリストや演出はメンバーがプロデュースに関わりましたー!」といった言葉が多くなったのは、お互いの“全人的関与を期待する/される”関係をごく自然に理解していったからのように思う。それはメンバーもファンもである。11年間にもわたる長い活動期間を経て、この暗黙の了解のような関係が熟成された。これも、アイドル11年やっちまった意義のひとつだろう。

最後までキャプテンらしい仕事をしたキャプテン清水佐紀

私事で恐縮だが、ここ数日は毎朝胸に何かつっかえたような気分で目が覚める。Hello Project!の各グループがスタートさせる春ツアーを、ウキウキとで心待ちにする春。なのに大好きだったあの時間と空間を失った空間はもう戻ってこないと思うと、さみしい気持ちになってしまう。「そうだ、今までのが全部夢だったんだ!」と思うことにして、しばらくの間はやり過ごしたい。実際に、Berryz工房のファンとして過ごした時間は夢のようであったが。

今はちょっぴりさみしくても、“この先”の心配は全部杞憂に終わるに違いない。そう思わせてくれたのが、キャプテン清水佐紀の一言だった。

「Berryz工房は永久に不滅です!」

この言葉に救われるファンはどれだけいることだろうか。これからのメンバー個人、ひょっとすると全員集合しての活動に期待させる意味と、私たちファンの記憶にBerryz工房が強くとどまり続けるという意味。二つの意味を含んだ名言だ。実に深い。

「エピソード記憶」という言葉がある。学術用語のため厳密な表現は避けるが、一般に「思い出」として強い感情と共に記憶されるような個人的な出来事を指す。言葉を知ったところで大した意味はないが、やっぱり素敵な思い出は楽しいと思った分だけ強く記憶されるようだ。奇しくもこの話題を扱ったのが、熊井ちゃんと千奈美のラジオ「BZS 1422」だったのがなんとも印象深い。

Berryz工房は私たちファンに、楽しい思い出をたくさんくれた。その思い出たちは私たちの楽しい記憶や悲しい記憶を鮮やかに彩り、様々な感情を呼び起こす。この表現が正しいのかは分からないけれど、楽しかった記憶だけでなくつらかった記憶まで全部受け入れて、Berryz工房が居たから頑張れたという思い出に昇華してくれる。いつしか“「Berry達が表現する音楽」をクリエイトする工房”はその最高の音楽体験をもってして、私たちの思い出も一緒にクリエイトしてくれた。

Berryz工房は私たちファンにとって常に記念碑的存在であり続ける。

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ありがとうBerryz工房

書けども書けども、Berryz工房への感謝の気持ちはとめどなく溢れる。

ライブに行くにつけ楽しい思い出が増え、ラジオを聴くにつけメンバーの人柄がもっと好きになり、新しい曲を知るにつけますますBerryz工房の存在が刺激的になった。まだまだ好きになることができただけに、このタイミングでの活動停止は正直言って悔しい。でもしょうがない、かっこよく去っていくのが彼女たちなりの美学なのだから。

思い返せば、一回でもしっかりと彼女たちの目を見て「ありがとう」と伝えることができなかった自分が悔しい。機会を毎回フイにしてしまった私はダメなファンかもしれない。最後の最後に、この場をお借りして言わせていただきたい。

ありがとうBerryz工房、そしてお疲れ様でした!

(文=プウク人形劇場)


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