笑顔が眩しすぎるから(GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~ ブルーレイの特典映像)

もはや伝説どころかエンタメ界に神話として語り継がれる2014年11月26日の模様を収めたDVD、ブルーレイが発売されています。
もちろん「モーニング娘。’14 コンサートツアー2014秋 GIVE ME MORE LOVE ~道重さゆみ卒業記念スペシャル~」の千秋楽、道重さゆみさんの卒業コンサートのDVD、ブルーレイです。
ものすごい売れ行きのようですね。

心が痛くなるほどの、すばらしすぎる笑顔

みなさん既に十分涙を流したことかと思いますが、そのコンサート本編がいかに感動的であるか、それを言葉に置き換えることは、表現力が足りないというよりも、私の心の強靱さが足りないので、涙を飲んで見送ることにして。

ここではブルーレイに収められた38分もの特典映像の中から、あるシーンについて。
この特典映像については、すでにハロヲタ男子である相沢さんのすばらしいレビューがあるので、蛇足ではありますが、座興ということで、ひとつ妄想をたれ流してみます。
妄想ついでに、先に公開いただいていたこちらの投稿に対する自己レスとして。

そのシーンとは、大阪公演のバックステージにて、楽屋で固定されたカメラに向って、メンバーたちが大阪弁という縛りで話すわちゃわちゃシーン。
「うそやん!めっちゃ可愛い!」(石田さん)からの「ほんまや、めっちゃ可愛い!」(飯窪さん)を受けての、道重さんがカメラに近づいて…「そんなことないやろ~…ほんまや!!」とボケる、この場面から、メンバーたちの、すばらしすぎる笑顔について、その由来をさぐって(妄想して)みようと思います。

心が痛くなるくらいの笑顔。呆れるほど幸せな天使たちの笑顔

心が痛くなるくらいの笑顔。呆れるほど幸せな天使たちの笑顔

アイドルは因果な稼業ときたもんだ

唐突ですが、アイドルは、たいへんな仕事だと思います。

もちろん、どんな仕事だって大変なところはありますが、アイドルは、次の点で、他の職業とはひと味違った苦労があるのではないかと思っています。第一に、努力の結果が誰にもはっきりとわかる形では出ないことで。第二に、全人的な関与を期待もされ、その点で評価されることで。

はっきりわかる形で努力の結果がでるわけではないこと

たとえばホールやライブハウスの動員数が数字で出るとしても、物販のグッズの売れ行きが数字で出るとしても、アイドル本人がどうすればその数字が動くのかは、わからない。懸命にレッスンにはげみ「私、こんなに歌えるようになったよ」と、「私、こんなに踊れるようになったよ」と思っても、だからといって確実にファンの気持ちをつかめるというものでもない。
どうしたらファンが喜んでくれるのか、はっきりした方程式があるわけではない。自分はステージの上で、歌って踊るしかない。がんばって、がんばって、こんなに歌えるようになったと、こんなに踊れるようになったと、こんなに上手にトークを回せるようになったと、たとえ自分なりの実感を得ていても、それと、客席を埋めるファンが見ているモノとの間のつながりは、わからない。
歌もダンスも、数字で表現できるような形で、はっきりと優劣が出ることは少なく、どうしたって観る者の主観に左右される部分があるとするならば、先生たちに指摘されることに、自分で納得がいくことばかりだとも限らない。

自分の努力と「人気」という結果の間が、言葉で納得できるような形で説明し切れない部分が残ること。これは、アイドルをやっていて、とても厳しい部分だと思います。アイドルをやっている当人の心にとっても。

全人的な関与を期待されること

普通はいろいろお仕事をしていて個別にダメ出しされることはあっても、それは「この私」とは、やっぱり別で、「私」という人格ごとダメ出しされているわけではないですね。一方、彼女たちは、自分をまるごとステージの上にのせています。実際には、そんなことはなかったとしても、そうであることを期待される。

「歌」とか「ダンス」とか「トーク」とか、そういったスキルが「私」という人格と切り離されて個別に評価されるわけではなく、「努力」とか「研鑽」といった背景を、「自分」と切り離して独立に鑑賞されているというわけではなく、アイドルである「私」込みで、「この自分」に全部を背負わせて、彼女たちはファンに対峙しています。繰り返し、実際には、そんなことはなかったとしても、そうであることを期待される。

私たちファンの側だって、このあたりは上手に言葉にできないところです。歌がすごいとか、ダンスが上手とか、いろいろ個別の要素はいくらでも出せますけど、「だから好きなんだ」というわけではない。やっぱり、個々の要素や背景や、個別に切り出されてくるいろんな部分ではなく、どこかで丸ごとファンになっている。そういうファンの側の目線を踏まえて、アイドルは「丸ごと」であることを期待される。
逆に言えば、彼女たちは、個別のスキルだの物語だのを「売り」にしているのではなく、それらを「売り」にしているという体裁にキャラを織り込んで、やはりステージの上で、まるごとの私として、自分を提示している。そして、その上で、好きだの嫌いだの言われているわけですね。

これはしんどい。しんどいと思います。

「アイドルをやっている」ということは、非常にしんどいことだと思うのです。

ましてやモーニング

その上、モーニング娘。の場合は、独特なしんどさがあるんじゃないかと思います。
先輩たちの築いてきた看板を背負っていること。入ってきたばっかりの自分が、すでに人気も実績もある先輩たちと比べられること。モーニングのファンという人たちは、先輩たちのファンとして、すでにそこにいること。その人たちに、自分が、いわば【お披露目】されること。

モーニング娘。は歴史あるグループであり、卒業と加入を繰り返すという特異な遍歴を持つグループでもあることから、そうした側面が際立ち、(他のグループにだってあるはずの)メンバー相互の競い合いという面も表に出てくる場面が多いでしょう。

卒業していったOGたちから、それに類する発言があったこともあります。
高橋愛ちゃんが卒業する間際には、当時のモーニングの雰囲気が「和気あいあいすぎる」として、初期のOGたちから、(もちろん善意でのアドバイスとして)もっとガツガツ、ギスギスしても良いんじゃないかとのお言葉をもらう場面もありました。

そう思ってみれば、メンバーたちが楽屋裏で見せてくれる笑顔に、少し戸惑うことになります。
そんなに辛いのに、どうしてこんなにも底抜けに楽しそうに笑えるのか。

鞘師ちゃんも、譜久村さんも

モーニングのセンターという重責にある鞘師ちゃんも、道重さんの次のリーダーと(この段階で)目されていた譜久村さんも、ひしひしと感じていたであろうプレッシャーは尋常なものじゃなかったと思います。そして、まさにこのツアーをもって、頼りにもし、自分を支えてくれもしていた道重さんは卒業するとわかっています。次からは自分たちが最年長としてモーニングを引っ張っていかなくてはならない。

なのに、鞘師ちゃん、大口あけて笑ってます。譜久村さん、めっちゃ嬉しそうです。
譜久村さんなんか、あの端正な美しさがブッ飛んでいくくらいの勢いで笑ってます。

石田さんも、飯窪さんも、工藤ちゃんも

これから12期が加入してきて、いよいよ本格的に後輩ポジションに安住できなくなる10期。
ステージ裏で道重さんにハイタッチしてもらったことを喜んだ工藤ちゃんも(@カラフルキャラクターDマガ)、嬉しい時にはいつも道重さんの笑顔が隣にあったから、だから笑ってくださいとまで言った石田さんも、そして、ずっと太鼓持ち的な芸風でごまかしながら、ほんとは道重さんのこと大好きだった飯窪さんも、そんな道重さんがおどけてくれた様子に、めちゃくちゃ笑ってます。

石田さん、笑いすぎ…ってか、嬉しそうすぎませんか、石田さん(笑)。

まーちゃんも

ずーっと道重さんの髪の毛をイジって遊んでいたまーちゃんも(道重さんも、まーちゃんが自分の髪の毛をイジるにまかせていて、子猫がじゃれあっているようですよね)、喉の奥まで見えそうな勢いで笑ってます。

アイドルをやっていれば、毎日の研鑽に結果が見えず、自分のやっていることが意味あることだと自分で自分に言葉で説明できず、それでいて「研鑽している自分」を丸ごと鑑賞される。ましてやモーニング娘。の場合は、(きっと他のアイドルにだってあるだろう)看板を背負っていることや、自分が参加する前からすでにあらかじめいたファンの目を意識することや、メンバー同士の競争といった側面がクローズアップされる。

自分に置き換えて妄想してみるに、とても辛く、しんどい。
それなのに、彼女たちは、びっくりするほど朗らかに、身体全体が笑顔なほどに笑って見せてくれる。
いったいどうして、これほどまでに屈託なく笑えるんでしょう?

どうしてこんなにまっすぐ笑えるのだろう?

まったくの私見ですが、この謎には、やはり道重さんが大きな鍵を握っていると思います。

当の道重さんも、心から笑っています。
おすましした笑顔ではなく、あの悪そうな道重さんが表に出てる笑顔で。れいなと悪巧みをしているときに見せる笑顔で(笑)。

私は覚えています。
2011年、モベキマスお披露目で、10期メンバーが初めて先輩たちと一緒のステージに立った日のことを。
そのときの様子はバックステージを含め、懐かしのハロプロTimeのDVD(vol.11)に収められています。そこでは、当時リーダーだったガキさん(新垣里沙)といっしょに、初めての10期のステージを冷静に評価している道重さんがいます。
「楽しんでやってるのは、わかるんだけどね」…と。
必ずしも全面肯定というわけではなく、微妙にダメ出ししながら10期のステージを評価する道重さんです。事実、そのモベキマスお披露目のステージのモーニングパートでは、立ち位置の移動が上手くいかずに、後列から前列へ移動しようとする道重さんを、まーちゃんが邪魔してしまい、道重さんに移動先を指さしで指摘されるという場面が、上述のDVDには記録されてしまっています。
道重さんは、ガキさんと一緒に、眉間にシワをつくりながら、後輩の初ステージに、難しい顔をして不満げにしています。
(しかし毎度、回顧厨で、ほんと申し訳ない)

それから4年。
かつて、あれほど心配していた後輩たちに囲まれて、ずっと年の離れた後輩たちに囲まれて、その後輩たちのおふざけにのっかって、道重さんは、わるーい、わるーい顔して笑っています。

なんてったってアイドル

アイドルは「しんどい」と、やっぱり思いますし、上に述べたようなことは、当たらずとも遠からずなんじゃないかなとは思っています。
それでも、彼女たちの、こうまで屈託のない笑顔を見せられると、また別の面も見えてくるのかもしれません。
上に述べた、アイドルとしてのしんどさは、もしかしたら、お互いに笑い合うための前提なのかもしれません。はっきりと努力の結果が目に見えないことも、「この私」をまるごとステージの上にさらすことも、メンバー同士の競い合いがあることも、むしろ、心から笑い合うことの前提だったのかもしれません。
そのしんどさを笑い会えるための前提にしてくれたのは、やっぱり、道重さんなのかもしれません。

b0b81d64

同じ汗を流す仲間として

歌やダンス、ステージの上でのパフォーマンスを、どれだけ磨いても、ファンの人がそれを見てくれているかどうか、磨いたスキルが「人気」につながるのかどうか、それはわからない。
けれども、同じステージで、同じように悩みながら、長年磨きを怠らなかった先輩(道重さん)が、自分の努力を認めてくれている。「努力を認めてくれる」という形では、お互いに意識していないかもしれないけれど、心配するばかりだった先輩が、いつのまにか、一緒に笑ってくれている。
私の努力と研鑽は、それが世の中に認められているのかどうかはわからないけれど、でも、ずっと憧れだった尊敬する先輩が、今、私たちといっしょになって笑ってくれている。心から嬉しそうに。

自分たちの努力が世の中にどう届いているのかはわからなくても、目の前にいる先輩が自分を認めてくれていることは、わかります。
その意味で、彼女たちの努力と、ファンに知られぬところで流された汗と涙は、報われているのかもしれません。

それは道重さんがそばにいてくれたから?

競い合うライバルの技量を認めることも、磨いた技を自分のものとしていくことも、モーニング娘。に限った事ではないし、アイドルというお仕事に限ったことでもないでしょう。
それでも、ほんとうにこれが正解なのかわからないままの自分の努力は、長年、自分のすべてを込めてモーニングの看板を背負ってきた先輩がわかってくれている。そう思えば、アイドルをやっていく辛さも、報われるのかもしれません。

アイドルであることがどういうことか、それは正解はないのかもしれないし、自分たちが考えるアイドルと、ファンが見ているアイドルが同じとも限らないのかもしれない。けれども、自分の考えるアイドルへと自分を作り上げていった輝かしいアイドル・オブ・アイドルが、自分たちを認めてくれている
「後輩」という括りではなく、「石田」と、「鞘師」と、「工藤」と、「はるなん」と、呼んでくれる。
そうであるならば、私が不安に思いながら重ねてきた努力も、やっぱり正解だったと言って良いのかもしれません。
そうであるならば、「この私」を背負ってステージに立つことも怖くないのかもしれません。

それは道重さんだけではなく

偉大な仰ぎ見るべき先輩が認めてくれたのは自分だけではありません。
競い合うライバルである、あの娘も、その頑張りを認められている。そんな、あの娘だからこそ、互いに競い合うことにも前向きになれる。そして、そんなあの娘も、この娘も、私があの娘を認めるようにして、私を認めてくれている。

自分が今現在、悩み不安に思っている「アイドルをやっていく」ということに、同じように迷い戸惑いながら対峙して、走り抜いてきた、この先輩が、自分たちを愛してくれるのならば、なにも辛いことはない。
何故なら、今、私たちの目の前で心から嬉しそうに笑っているこの先輩は、きっと、努力の結果が目に見えないことや、自分自身をステージにさらすことに、一番に向き合って戦い抜いてきた先輩だったのだから。

何も知らない妹たちに、言葉使いや立ち振る舞いも教えてくれた先輩が、自分たちを信頼してくれるのならば、先の見えない努力にも自分を丸ごと見せなきゃいけないステージも恐くない。
何故なら、私たちが愛する先輩も立ってきたステージなのだから。

ちょっと妄想しただけでは、心が折られかねない厳しさがあるようにしか思えないアイドル稼業ですが、こうまで幸せそうに笑う彼女たちにとっては、それは、尊敬する先輩を媒介にした、自分たちの笑顔の前提でしかないのかも知れません。

明日もこの笑顔はきっと続く

コンサート本編のことは書かないと言いましたが、ちょっとだけ前言撤回。
これまでモーニング娘。の卒業セレモニーは、かなりの数、見てきました。しかし、2014年11月26日の、道重さゆみさんの卒業セレモニーほど、後輩たちの真摯な気持ちを感じることができたセレモニーもないと思っています。

こんなにも後輩たちから慕われ、こんなにも後輩たちから愛され、こんなにも後輩たちから(言葉おかしいけれど)認められ、後輩たちの成長をこんなにも嬉しそうに見ていた先輩は、やっぱり道重さんをおいて他にいないと思います。

道重さんと一緒に、びっくるするくらい底抜けに笑いあった後輩たちは、この春から、道重さんのいないステージを控えています。

道重さんの苦しみを、きっと傍で見てきた後輩たちは、結果の見えないながらも自分をさらす中で切磋琢磨してきた仲間たちと共に、この春から、単独ツアーに挑みます。

私も、彼女たちの笑顔に癒されたからには、その行く末を見届けねばなりますまい。

(文=kogonil)

スポンサーリンク

コメントを残す