ハロヲタ達のありがたさ(11月26日道重さゆみ卒コン当日、好きという気持ちを受け止めきれない極私的な風景)

2014年11月26日、横浜アリーナで道重さゆみさんの卒業公演が行われた日のことを、ようやく振り返ることができる。

道重さゆみさんのことは、何か書こうとするたび、なにかと溢れすぎるのか、必ずとっちらかってしまうので、書けないでいた。でも、道重さゆみさんの卒業公演それ自体には、すでに素晴らしいレポートが、このエンタメアライブを始め、多数あって、いろんな人が、いろんなことを、あるいは回顧し、あるいは吐露しているので、それは良い。
むしろ、それらを読んだことで、ようやく今、振り返ることができる。

まったく個人的なことに終始するので、あらかじめ謝ります。すみません。

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極私的な11月26日の風景

卒業が発表されてからずっと、心構えが必要だと思っていた。たくさんのものを与えてくれた道重さんを、笑顔で送り出せるよう私も心構えを、と。でも、結局、なんの心の準備もしないままに(有給だけはちゃんと取って)迎えてしまった11月26日。
卒業への心の準備ができないうちに当日を迎えるどころか、卒業後には休業するとの発表に、さらに追い打ちをかけられたかっこうの11月26日。

当日は、危うい局面がいくつもあった。(私の心にとって、ということね)
物販を早々に終えてしまった後の開演までの時間(物販スタートはお昼からだったのです)。それでなくとも、冷たい雨がシトシト降り続け、うっかりすると、開演を待ちきれず、開演後に待っているであろうドラマに心が耐え切れず、余計なことばかり考えてしまって、もしかしたらチケットを持ったまま帰ってしまっていたかもしれない、あの待ち時間。

開場してからも、徐々に歴史的ステージに向けてボルテージが上昇していく、開演アナウンスの響きのなかで高まる謎の焦燥感。

公演中も、すでに伝説となった様々なアクシデントやメンバーのアドリブに、当のメンバーこそが一番大変だというのに、見ているだけの私の心は折れていたかも知れない。

終演後も、自分の内心の動揺にばかり目が行ってしまい、まともに帰ってくることさえ出来なかった可能性がある。

お仕事で、糾弾大会となることが明らかな技術セミナーでプレゼンするときも平気だったけれど、道重さんの卒業公演からは(見てただけなのに)逃げ出したかった。

傍らで一緒に時間を過ごしてくれたさゆヲタ友達がいなかったならば。

ヲタ友のありがたさ

物販を済ませた後の待ち時間

開演までの待ち時間には、幸い、物販を終えたさゆヲタ友達たちと合流でき、近場のファミレスで時間を潰すことができた。おかげで、自分一人で開演を待っていたならば、陥りかねなかったループを免れることができた。

あるヲタ友は、この日のために地方から遠征していたので、定例の「おつかれさまです」的な世間話から始まり、最近どうですか的な話題で時間をつなぐことができた。お互いの物販の成果を見せ合ったりして。私は、甚だしく空気読めないことに、Berryz工房の話をしていたように思う。
話題が途切れがちになっても、「あの時はこうだった」とか「この時はどうだった」と、今する必要なんか全然ないような、お互いの現場参戦歴を無駄に披露し合ったりしていた。

卒業後に休養するとの発表も含め、本来ならば当日までに済ませておくべき心の整理を怠っていたために、「これからどうなるんだろう」、「この先、(俺は)どうすれば良いんだろう」といった、考えても詮無い断片が、整理されていない心の断片が、意志に逆らって浮かんできては、とりとめのない物思いにふけってしまいそうになる。
せっかくの道重さんの、モーニングとしては最後の花道を、十分に祝福し、悔いなく楽しむためには邪魔にしかならない、くだらない自分の繰り言が、脳裏から消せない・・・といったハメに陥るところだった。

傍らで一緒に時間を過ごしてくれた、さゆヲタ友達がいなかったならば。

開演中のアクシデントやメンバーのアドリブ

開演後も。
もちろん、道重さゆみさん当人や後輩メンバーの気持ちは忖度し切れるものではないけれど、あのステージ上での道重さんのアクシデントには、気持ちが潰されるところだった。

今を去ること2年前、6期メンバーが最年長となって迎えた「カラフル・キャラクター」ツアーの山口凱旋公演にて、足を痛めてしまってステージを続けられなくなったことを客前で切々と語る道重さんの姿は、Dマガにも収録されている。その後、足を痛めることがないようにと、「ちょっと礼儀がなってないですけど♪んふふ」と、ステージ裏でいろいろとケアしている道重さんの姿もまた、Dマガで公開されていた。
その姿に、すでに心をつかまれていたので(もちろん、それでなくとも道重さんには心をつかまれまくって12年なんだけど)、11月26日のメドレー途中での異変には、私はただ見ていただけなのに、ウサちゃんペンライトを振り回していただけなのに、「見ていられない」どころか、「もう、この場にいたくない」とすら思ったかもしれない。道重さん本人が一番くやしかっただろうに。なのに、笑顔を崩さなかったというのに。

舞台の袖に控えていて、何かあったら飛び出そうと身構えていたスタッフが見えたときにも(私は東スタンドにいたので、よく見えた)、卒業セレモニーで鞘師ちゃんからの抱擁を受け止めてから、崩れるようにうずくまってしまい、消え入りそうな声で「ちょっと照明、暗くしてもらえますか」と道重さんが囁いたときも、私は一人で参戦していたなら、目をつぶってしまったかもしれない。

ステージの道重さんの一挙一動に傍らで同じように右往左往してくれたさゆヲタ友達がいなかったならば。

おかげで、最後の道重さんのスピーチに、多くの同志と同じように「変な人」として、落ち着いて涙を流すことができた(まじめに泣いてしまったので、この時だけは隣のヲタ友の方を見ていない)。

終演後の放心も

すべてが終わった後、「すばらしかった」とすら考えられないでいる放心の中で、翌日の仕事へ向けて、ちゃんと日常に戻ってこれなかった可能性がある(気持ち的な話しだけではなく、物理的にも)。

開演前の待ち時間同様、考えてもしょうがないことだとわかっているけど止められない繰り言を心の中でぐるぐるさせて、どんなトラブルに巻き込まれたとも限らない。

あそこが良かった、ここが秀逸だったと、今見てきたばかりのステージをどう褒めるかという恒例ながら謎のバトルを繰り広げるさゆヲタ友達が、駅までの道を一緒に歩いてくれなかったならば。

「私だけではない」と思えること

今、具体的に知り合っているヲタ友のことを述べた。
でも、そう思ってみると、これはリアルで知り合っているヲタ友に限らないようにも感じている。

いつも、どのグループの現場であっても、ステージの上のメンバーの姿にも、メンバーを支えステージを作り上げているスタッフさん(こちらはもっぱら想像)にも感動するのはもちろんなのだが、ステージへ向けられる客席のヲタの姿だって、やっぱり感動する。
必ずしも自分のことを見てくれるわけでもないのに、身につけるものから何から、メンバーへのアピールに余念のないその姿だけではなく、示し合わせたような曲中のコールしかり、初お披露目の新曲なのに、なぜか揃うコールやフリコピしかり、アンコールや終演後の「最高」コールにおいてアリーナ席から2階席へ向けて音頭をとっているファンしかり、メンバーがステージ上で涙する姿に呼応する(同じように泣いていたり、届くとも限らないのに懸命に励ましていたりする)姿しかり。

個別握手会で、慣れないのに無理やり作ったせいか、表情に張り付いてしまっている笑顔と、上気した頬と、そして幸せな気持ちを抱えて、握手ブースから出てくる様子。そんな様子を見て、あの現場でジャンプしていて私の足を踏んだ彼とも、お手製のボードを振り回して私の視線を遮った彼女とも、みんな、肩を抱き合いたいくらいの気分になる。何より、レーンに並んでいるときに、自分がニッコニコしていることを隠さずに(むしろ気付いてもいないで?)握手のブースから出てくるファンの姿を見ると、私自身の、握手待ちの緊張が和らぐ。

私が(自分でも少々戸惑うほど、ハマる前の自分からは自分でも想像できないほど)愛するメンバーを、同じように愛する人がいるということが、思った以上に助けになっている。

おかげで「好き」という気持ちに向き合える

モーニングの現場近くの牛丼チェーン店にて、カウンターに突っ伏して「俺、さゆのこと好きすぎて、どうして良いかわからねえ」と泣くヲタの姿が目撃され、共有され、話題になったのは有名な話だ。
この話が、ここまで有名になったことには、たぶん「好きすぎて、どうして良いかわからねえ」という気持ちを、多くのファンが実感していたからなんじゃないかと思う。

メンバーを介して自分の中に発見してしまった愛を持て余して、自分の中に、以前の自分のイメージとは違ったものとして見出してしまった愛に、どう対峙すべきか戸惑ってしまって、どうしたもんかと右往左往している自分を、自分自身の困惑を、「好きすぎて、どうして良いかわからねえ」と泣くファンの姿ほど雄弁に語っているものはないと思う。ファンとタレントという関係だって十分にわきまえているし、一般の「恋愛」における愛情とは違う感情であることもわかっていて、その上で、自分の中に発見してしまった気持ちに、自分で戸惑う。
私の場合は、カウンターに突っ伏して「俺、さゆのこと好きすぎて、どうして良いかわからねえ」と泣くヲタのエピソードに自分を重ねて、「ああ、俺は戸惑っているのだな」と、落ち着くことができた。

たくさんの人が道重さんのことを言っている

冒頭に戻る。
道重さゆみさんの卒業公演それ自体には、すでに素晴らしいレポートが、このエンタメアライブを始め、多数ある。卒業公演についてだけではなく、道重さんについても、道重さんに触発された関連することについても、あるいはブログで、あるいはTwitterで、いろんな人が、いろんなことを、あるいは回顧し、あるいは吐露している。
こうした、たくさんの人が、誰かに向けて書いている、いろんなことを読んで、ようやく今、私は、道重さんを振り返ることができる。

ようやく今、聴かずにいた「うさちゃんピース」と「ヤンタン」の最終回を、聴こうと思う。買っただけでビニールすら開封していなかった、道重さんのラストのソロDVDと、モーニングのアルバムに初回限定の特典として収録された道重さんのインタビューを、ようやく今、見ようと思う。
FCの、11月26日の道重さんソロアングルDVDも、注文しようと思う。

*****

道重さんについて書いてくれた、いろんな人に感謝を。

こんな腰の定まらぬ未熟なヲタである自分を、ちゃんと相手にしてくれるヲタ友に感謝を。

現場を埋め尽くす名も知らぬハロヲタたちに感謝を。

ヲタたちがステージに向けて投げかける気持ちに感謝を。

そんなハロヲタたちを魅了した道重さゆみさんに感謝を。

互いに別の場所ですれ違っていたら、ただの通行人でしかなかったヲタたちから、謎の暖かい気持ちを引き出してくれた、ハロー!プロジェクトに感謝を。

(文=kogonil)

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“ハロヲタ達のありがたさ(11月26日道重さゆみ卒コン当日、好きという気持ちを受け止めきれない極私的な風景)” への2件のフィードバック

  1. avatar アライブ名無しさん より:

    すばらしい 記事
    感謝 そうだな 感謝という言葉があのライブを表す言葉なのかなぁとか思いました
    ああ 愛もあるかな
    僕はあのライブみてすごっく満たされていました

    あとゆっくりライブDVDを買ってみようかと思いました

  2. avatar アライブ名無しさん より:

    私からもありがとう

    また、現場でお会いしましょう

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