つんく♂からTwitter時代への警鐘「ネットの普及で何でも短縮化されて、「書く」ことがおざなりになっている」

「下手な考え休むに似たり」という言葉がある。

この言葉を聞く度に、僕は「ホンマかいな?」と思うのだ。どんな下手な考えだって、休んでいるよりはマシだ。人間は考える葦であり、考えることをやめたら単なる葦だ。

でも、考えるだけでもしょうがない。夢は見なけりゃ始まらない。夢も考えも頭から始まるけど、次はそれを行動なり言葉にしなくては、やっぱり考えていないのと一緒なんじゃないか。しかしいつの頃からか、僕は考えたことを言葉にする習慣を失ってしまった。昔はこうじゃなかった。毎日何かを考えて、それを文章にしていた記憶がある。それが今では、たまにTwitterにつぶやくくらいで(いや、つぶやこうと打ち込んで取り消して終わることのほうが多い)、仕事の文章以外を書かなくなってしまった。

つんく♂は、最近こう語っている。少々長くなるが、これは我々ネット言論界に生きる人間として非常に重要な指摘なので、ここに引用する。

ネットが日常化されて感想文を書く人が減った

photo10s──モーニング娘。が結成された90年代末から2000年代前半って、今みたいに携帯やスマホからインターネットができる時代ではなかったんですが、一部のファンの人たちの間では自分たちの曲の解釈や解説をネット上にアップして、ファン同士の交流を深める文化がありました。それはつんく♂さんはじめ、制作サイドから説明がなかったからだと思うんですが、今は逆につんく♂さんのほうからセルフライナーノーツで「この曲はこうです」「こういう意図で作りました」と先手を打ってるわけですよね。

そうなんですよね。だからネット社会が始まって「2ちゃんねる」ができた頃は、ネットに参加してる連中っていうのはすごく能動的で。当時はモーニング娘。に限らず、人気アーティストのアルバムが出たらその感想文を自分のホームページで書く人がすごく多かったんです。「この曲は○○の『××』っていう曲のイントロのオマージュで、これこれこういうふうになってる」とか「この歌詞の意味は、きっと△△さんはこういう思いを込めて書いたんだろう」とか、1曲1曲を自分なりに解説して。「つんく♂が今回の曲で安倍なつみをセンターに持ってきたのは、やっぱりこれこれこういう理由なんだよ。『ASAYAN』を観てもこうだったし」とかね、嘘でもええから書いてるんですよ。まあそれを「ああ、こいつマニアックやな」とか「それは違うな」って思いながら読んで(笑)。

──あはははは(笑)。

まあそれは僕に対してのアンサーを含めて、自分たちでライナーノーツを作ってたわけですよね。でもそこからmixiとかSNSを経て、今はTwitterやLINEに移行した。ネットが日常化されていけばいくほど、そういう感想文を書く人が減っていった気がしていて。例えばAKBのCDをゲットしたとか、「Now Playing ○○」みたいなことを書くんですけど、その先の感想がないんです。ネットが普及したことでいろんなことが短縮化、簡易化されて、物事を書くということがおざなりになってるのかなっていう危機感を感じてるんですね。そんな文章を書くことがおざなりになってる中で間違った情報が上がらないためにも、「ここまで書かなくても普通は気付くでしょ?」みたいなことまで書いておかないといけないなと思っていて。僕が発した言葉に対して「そんなわけないやんけ!」って言ってくる人すら少なくなってますからね。その危機感みたいなものは非常に感じています。

──確かにブログが主流だった頃にはまだそういう感想文ってたくさんありましたよね。

あったんですよ。それは音楽だけじゃなくて食べものに関しても一緒で、ラーメンを食べてどんな味で、店がどんなふうになっていてと、自分なりに解説があったんですけど、今はもうない。(「Foursqure」などのスマホアプリで)チェックインで終わりですよ。

──それこそ140文字ですべてを伝えようとする文化になってきてますし。

しかも140字使いきる人はほとんどいないですから。ラーメンの写真がポーンって上がって終わり。感想もないから。
ナタリー – [Power Push] モーニング娘。「ブレインストーミング / 君さえ居れば何も要らない」特集 (5/6)”

百家争鳴、テキストサイトの思い出

耳が痛い。全ての言葉がズシンと来た。

そう、そうなんだよ。
あの2000年代初頭、「モーヲタテキサイ」という言葉が生まれるさらにずっと昔、ニッキモニ。の時代。僕らはよなよなモーニング娘。について書かれた文章を求めてWebの海を徘徊し、楽曲談義に花を咲かせ、歌詞の底が破れて穴が空くほど深掘りして勝手に分析し、おびただしい量の文章がネット上に排出されていた。夢の様な時代だった。

しかしいつしかモー娘。に対するネット人の熱が冷めるのと同時に、はてなダイアリー、ヤプログとどんどんネット文章の発表はお手軽になっていき、とうとうTwitterで140文字の時代になった。
発言の機会が増え、方法がお手軽になれば発表される文章も多くなりそうなものだが、現実はそうはならなかった。つんく♂師が指摘するように、誰も何も語らなくなった。ただただ脊髄反射的に、好き・嫌い、○○を買った、○○を聞いた、そんなつぶやきが膨大に増えただけだった。

※ニッキモニ。…2001年頃に作られた、モーニング娘。を対象として扱うテキストサイトを集めたリンク集。

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“つんく♂からTwitter時代への警鐘「ネットの普及で何でも短縮化されて、「書く」ことがおざなりになっている」” への2件のフィードバック

  1. avatar アライブ名無しさん より:

    アイラブモーニングさんの記事全部読みました。
    久々に自分の言葉で自分の好きなものを語るサイトに出会い
    嬉しくなりました。
    まとめサイトでは物足りないですよね。

  2. avatar 宮元 忘太郎 より:

    ありがとうございます。
    サイト開設の動機と理想が綴られたこの初期エントリまで
    目を通していただいて嬉しい限りです。
    最近ちょっと更新が滞っているのでもっと色々書いていきたいな、と思っておりますので、
    今後とも宜しくお願いします!

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