2014年5月。Berryz工房が9/11に日本武道館LIVEを開催することが発表された。
昨年、初の武道館コンサートを成功させ、今年の3月にはデビュー10周年を迎えたBerryz工房。彼女たちのメモリアルイヤーは、二度目の武道館という更なる高みへ向けて、これから更に加速していくに違いない。
そんなBerryz工房が6/4にリリースした両A面シングルには、まさしく、Berryz工房の10年を映し出す「名刺」のような曲が揃っていた。
一曲目は『愛はいつも君の中に』。
二曲目は『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』。
タイトルの「色物」感に苦笑いをして立ち去る前に、YouTubeでも、CDでも、とにかく一度聞いてみて欲しい。
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』にはBerryz工房の10年の物語が。
『愛はいつも君の中に』はBerryz工房が10年かけて築き上げた美学が。
これこそが今のBerryz工房なのだ、と宣言するように、この二曲の中にはBerryz工房にしか歌えない世界が惜しげもなく広がっている。
今回は、Berryz工房が歌うべくして生まれたこの名曲を(ささやかに)後押しすべく、この二曲が歌う世界観を紐解きながら、「10年やっちまった」Berryz工房というアイドルの存在感について、考えてみたい。
語られるアイドルから語るアイドルへ。
まずは、この曲に着目しよう。
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』
こんなに身も蓋もないタイトルがあるだろうか。ここまで堂々と「私たち、普通じゃなくなってしまったようです」と宣言されてしまうと、「自分で言うんかい!」と盛大に突っ込まざるを得ない。だが、この「自分で言ってしまうふてぶてしさ」こそ、Berryz工房というグループにふさわしい。
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』は以下のように始まる。
猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル
世界でもまれに見る 特殊な職業Jアイドル
それでもたいてい続かないの 色んな意味で体力も必要(い)る
誘惑だって半端無いのもわかるでしょ Do you know?
う、うん、知ってた。そうだろうなって思ってた。……と言いたくなるようなこの歌詞。
You Tubeで検索をかけてみれば、この歌詞を証明するかのように、Berryz工房がいかに体力を削り、青春を削り、10年アイドルを続けてきたのか、Berryz工房の歴史を描いた動画がたくさん見つかる。
そう。
“「色んな意味で体力も必要」で「誘惑だって半端ない」アイドルを、Berryz工房はメンバー構成が殆ど変ることなく、10年続けて来た。”
それは、アイドルがその華々しいステージの裏に秘めた物語として、オタが動画で主張するような物語なのだ。
普通、アイドルとは「語られる」存在だ。
アイドルというイメージを世間に提供し、オタたちにそれぞれの「アイドル物語」を描かせる。それがアイドルだ。だから、アイドルはその物語から逸脱しないように努めなければならない。
しかし、この曲は、今まで、Berryz工房が世間から、オタから、注がれてきた視線、語られてきた物語を、敢えてそのまま歌にのせる。
すなわち、この曲は、今までBerryz工房に、あるいは「アイドル」に与えられてきた物語を「歌い直す」あるいは「歌い返す」、という構造を持っているのだ。
「アイドルって名乗ればとりあえずアイドルなんでしょ」
「アイドルなんて若さをチヤホヤされてるだけじゃない」
「女優したいとかモデルしたいとか言うけど、勘違いしたらそこまでよね」
「普通、アイドル10年やってらんないでしょ」
など。
この曲で、Berryz工房が歌い上げるのは、自らに貼られてきたレッテルに他ならない。
しかし、そうした「レッテル」を歌いあげるメンバーたちの自信にあふれた表情はどうだ。
「ねえ、本当に分かってんの?」と言わんばかりに、カメラを見つめ、「Do you know?」と問いかける彼女たちは、自分たち「アイドル」に注がれる視線を真正面から弾き返す。
語られるアイドルから語るアイドルへ。
この曲は、Berryz工房が自分たちをめぐる視線や物語を取り込みながら、自らのアイドル人生を振り返り、自ら再構成しなおしていく、そんな曲であると言えるだろう。
「アイドルとしての私」と「私」
この曲において、Berryz工房はBerryz工房という物語の主役であると同時に、語り手でもある。
だから、この曲では、「猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル」というような、アイドルを客体化する、語り手としての眼差しと、「体力も必要」「誘惑だって半端ない」というアイドルという「私」の実体験が常に交差する。
アイドルとはまさしく、このような「自分を客体化する眼差し」と、「アイドルという人生を歩む「私」としての眼差し」との交差点に生きている存在だ。
二番の歌詞にあるように、「モデルしたい」「女優したい」という「私」の欲求と、それを「勘違い」と見なさざるを得ない「アイドル」というイメージの狭間で、アイドルは生きている。
しかし、本曲が面白いのは、「私」が「アイドルとしての私」を「語る」(歌う)という視点を取っているところだ。
「アイドルとしての私」は常に「私」によって客体化され、語られ、歌われる。
歌やアイドルが好きな「私」と、それを生業とする「アイドルとしての私」は重なり合いながらも、決して完全に重なり合うことはない。
「私」はアイドルを客体化することで、「私」と「アイドルとしての私」の間に境界線を引いて行く。
おそらく、自分で「私」と「アイドルという私」の間に「境界線」を引き、その「境界線」を保つ、というのは、アイドルにとってとても重要なことだ。アイドルは「私」と「アイドルとしての私」の狭間で生きているからこそ、時に「アイドルとしての私」に「私」が巻き込まれ、食い潰されることがある。
だが、Berryz工房は、この曲のように、「アイドルとしての私」を客観的にみる視点を「私」の中に保った上で、「それでも私はアイドルなんだ」と言うことができる。
だからこそ、Berryz工房は「アイドルという私」に潰されることなく、10年ものアイドル人生を送って来られたのではないか。
アイドルとしての10年を、もう一度自分たちの手元に手繰り寄せ、「私」の物語として紡ぎ直す。そんな力技を可能にするBerryz工房という「アイドル」の「強さ」と「歴史」を体現するのが、この『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という曲なのだ。
Berryz工房の「楽しさ」―「10年やってらんないアイドル」から「10年やってけるアイドル」へ
部分的に歌詞を見れば、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』には、感動的で、ドラマチックなことが歌われている。
「青春全部ささげた事は 誇りに思って生きて行くわ」
「土日も全部ささげて来たよ」
「辞めたくなって真夜中ずっと 涙した事もあるんだけど」
など。
涙なくして語れない、Berryz工房の青春の日々。
しかし。
Berryz工房は素直に感動をさせてくれない。
「やっちまったんだよ」という口調と言い、「石の上でさえ3年だよ」」という言い回しといい、つんく流の聞き手を脱力させるような言葉の選択、コミカルな曲調とダンス、全てが、見ている側の失笑すら誘う(馬の鳴き声とかなんだよアレ)。
しかし。
そうした、「コミカルにしてしまう」力技こそ、まさしく、Berryz工房最大の武器なのだ。
この曲を歌い、踊る彼女たちの姿はかっこいい。
ダンスショットもクローズアップも、10年選手たる彼女たちのパフォーマンスは完璧だ。バックで踊っている時ですら、彼女たちの表情は余裕でアイドルしている。
彼女たちはいたってまじめにアイドルとしての仕事をこなしている。やたらとかっこよく、キメ顔で「石の上でさえ三年だよ」と歌い上げてくれる。その姿はかっこいいからこそ面白いし、見ていて楽しい。彼女たちは実に真剣にふざけている。
「普通、アイドル10年やってらんない」
それは、あからさまに「若さ」「清純さ」「フレッシュさ」が評価される女性アイドルにとって残酷な現実だ。
しかし、Berryz工房は、そんな女性アイドルが抱える「時の流れ」という切実な問題を、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という一つ作品に昇華させて、楽しくかっこよく歌い上げてみせる。
Berryz工房は、この10年をかけてBerryz工房に求められる「アイドル性」を、「ロリ」や「美少女」から「楽しさ」にすり替えてきた。
今のBerryz工房の最大の魅力は「真剣に」ふざけることができるスキルと、それによって生み出される「楽しさ」だ。
この「楽しさ」こそが、Berryz工房というアイドルが「それでも」アイドルを続けて行くことを支え、10年目のさらに先へと続いて行くBerryz工房の新しい未来を予感させるのである。
Berryz工房という愛の軍団
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』に並ぶ、もう一つのA面曲、『愛はいつも君の中に』。
この曲を聞いて、筆者が最初に連想したのは、モーニング娘。の『愛の軍団』という曲だった。
軍歌を連想させる曲調、真っ黒な衣装……
『愛はいつも君の中に』を歌うBerryz工房たちは、見た目こそ、完全なる「悪の軍団」だが、よくよく歌詞に耳を傾けてみれば、この曲はまさしく、Berryz工房版『愛の軍団』なのではないかと感じられて仕方がない。
すなわち、「ほんと?ほんと?」という疑問の提示に始まる『愛の軍団』における「愛」がまだ成長の過程にあるとしたら、「愛はいつも君の中で光る」と言い切る本曲は、成長を経た後に生まれた「愛」への確信を歌っている曲なのではないか。
なので、ここで『愛の軍団』と『愛はいつも君の中に』を聞き比べてみたい。
「自分を信じて行くしかない 愛の軍団」
『愛の軍団』は、「自分を信じていくしかないんだ」という「宣言」あるいは「決意」が歌われて終わる曲だ。すなわち、『愛の軍団』の行進はこの曲の後に始まるのだと言える。
ゆえに、『愛の軍団』はその曲中で、常に、「揺れている」。
例えば、一番のサビで歌われる「本当に誰かを守りたけりゃ 他人の目なんて気になんない」という歌詞は、「他人の目」が気になる自分の裏返しだ。
二番の「近くにあるときゃ分からなくて 遠く離れたら気がつく」「無いものねだりが人間でも ありがたさを知れ」も同様だ。『愛の軍団』は常に、「遠く離れる」まで気付けない自分、「無いものねだりをしてしまう自分」を前提としていて、そんな自分を振り切るために「孤独と戦い」「大きな力に飲み込まれない」と腹の底から絞り出す。
『愛の軍団』は孤独と戦えず、大きな力に飲み込まれそうだからこそ、「孤独と戦い」「大きな力に飲み込まれない」と宣言/決意しようとするのである。
『愛の軍団』は、揺れる自分、悩みや苦しみ、そんなものを抱えながらも、「愛」の名の下に、前を向こうとする。そんな行進の始まりを歌った曲だということができる。
そんな『愛の軍団』と『愛はいつも君の中に』を聞き比べてみれば、『愛はいつも君の中に』は、『愛の軍団』をもっと外側から、あるいは、『愛の軍団』の進んだ先から、『愛の軍団』について歌った曲のように聞こえてくる。
例えば、『愛の軍団』は「成功したら幸せだとか ほんと?ほんと?」「苦労買ってでもした方がいいって ほんと?ほんと?」と、「成功」という結果には本当に意味があるのか、その過程の「苦労」には意味があるのか、疑問を投げかけていた。
対して、『愛はいつも君の中に』は、「そう どんな結果であれそれがが全てさ」と、世の中は「過程」ではなく「結果」でできているのだと言い切る。
「そう どんなに良いように見られたくても ねえ どんな君は君以上でも君以下でもない」
「そう どんな結果であれそれが全てさ ねえ もしも しかし まさか たらもればもない」
『愛はいつも君の中に』は、『愛の軍団』よりも現実的で冷静だ。
『愛はいつも君の中に』は『愛の軍団』の行進より数歩先の未来を歩いており、(自分の)正義を信じて進んでも、どんなに努力しても、必ずしもそれが報われるとは限らない、ということを「すでに知っている」からである。
しかし……いや、だからこそ、『愛はいつも君の中に』は、「どんな時も正義が勝つ そんな世であれと願おう」と歌う。『愛はいつも君の中に』という曲は、どんなに信じて天命を尽くしても、最終的には「願う」ことしかできなのだと悟っているし、それでも/だからこそ、「正義」を「願う」ことの尊さを知っている。
時には正義が敗けてしまうような現実の中では、「愛」は「君」が行進を諦めたその瞬間に輝きを失い、「大きな力」に飲みこまれてしまう。
「愛はいつも君の中で光る」。それは、時に挫けそうになる『愛の軍団』に対する、「それでも愛を忘れるな」というエールだ。
『愛の軍団』は、新しい「モーニング娘。」を始めようとしている娘。メンバーが歌うからこそ、歌詞の中に描かれた青い苦しみと、そこから生まれる「愛」の始まりが、説得力を持っていた。
対して、『愛はいつも君の中に』は「普通、10年やってらんない」アイドルを10年やっちまったBerryz工房が歌うからこそ、世界観が完成する。
Berryz工房は、「誘惑だって半端ない」し、「雑念は禁物」で、「勘違いしたらそこまで」なアイドルの現実を、身をもって体験してきている。そんな厳しい現実の中で、Berryz工房というアイドルグループを貫き、作り上げて来たBerryz工房だから、「どんなに良いように見られたくても 君は君以上でも以下でもない」「もしも しかし まさか たらもればもない」(けれど/だから)「どんな時も正義が勝つそんな世であれと願おう」と語り掛けることに説得力があるのだ。
『愛はいつも君の中に』も、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』と同様に、Berryz工房にしか歌えない、Berryz工房が歌うからこそ説得力を持つ曲であるのだと言えよう。
これまでの10年、これからの10年
『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』が、10年やって来たBerryz工房の歴史とその先に始まるベリの新しい物語の幕開けを歌っているとしたら、『愛はいつも君の中に』はそんなBerryz工房が築き上げてきた「愛」の美学と、その尊さへの確信が歌われている。
今回の両A面シングルはBerryz工房10年の集大成であるとともに、新しいBerryz工房の魅せ方、今のBerryz工房にしか見せられないものを掴み取ろうとしている、そんな意欲的で重要なシングルであると言えるのではないだろうか。
この両A面シングルが、Berryz工房の未来を拓き、新しいBerryz工房の10年の幕開けを告げる、そんなシングルとなるように祈ろう。
ちょっと何言ってるかわからないですね笑
すげーベリ好きなんだなという
熱意は伝わったぞ
愛の軍団と対比するという視点は面白いなと思ったが
いかんせんちょっと長いので読み疲れちゃうというか※1みたいな意見も出てきちゃうのは仕方ないか
↓Twitterでは好評ですな
これだけの分量があるなら、1曲ずつ分けた方が良かったかも
楽曲レビューもっと増やしてもいいんやで。
愛の軍団の方は、タイトルとは裏腹に強度の足りない歌詞だなぁと思っていたが、こうして比較してみるとなかなかどうして、グループとしての違いになっていくんですね。
毎回更新楽しみにしてます。
ほんとそうだと思う
言いたい事全て言ってくれた名文
愛はいつも君の中にの歌詞の過剰なまでの愛の連呼は開き直りでもあると思う
開き直りの理由はある意味の絶望や悲観じゃなかろうか
正義が勝つと願おうに現れてる悲観や絶望
あとアイドル10年はつんくさんのある意味ライフワークの一つでもある働く女性応援歌かなと
つんくさんは大人の女性の歌詞が書けないとか言う奴がいるけど、俺は日本で大人の女性の特に働く女性の歌詞を書いてるのはつんくさんただ一人しかいないと思う
※1は知的障害者
こんな分かりやすい文章も理解できないから
ハロプロ界隈の言論って暴言しかなくなったね
終わったなハロプロ
もうアライブさんもサイト閉鎖していいよ
今のハロプロに群がってるのはゴミしかいないから何も聞かせる必要がない
ゴミに名文を与えても無駄でしかない
長い間お疲れ様でしたアライブさん
アライブモーニング様、記事の掲載ありがとうございました。
色々なご指摘、温かいコメント、ありがとうございます。
読んでいただけただけでとても嬉しいです。
※1
改めて自分で読み返してみても、ちょっと途中で脱落しかけましたw
もっと伝わりやすい文章を書けるように精進します!
※2
好きという気持ちだけでも……いや、好きという気持ちが伝わったことが一番うれしいです!
※3
改めて自分で自分の文章を読み返してみて、自分で自分の文章に脱落しかけました……。
ブログ記事をまとめたものを掲載していただいたのですが、元はもっと長かったんです……
長けりゃいいってものではないので、もっと、短く意見をまとめられるようになろうと、決意しました……。
『愛の軍団』との比較、面白いと言っていただいてありがとうございます!
※4
ちょっと……いや、かなり長いですよねー。
もっと、短く読みやすく書けたら良かったなあ、と反省してます……。
※5
コメントありがとうございます。
『愛はいつも君の中に』は、最初、繰り返しが多いし、歌詞もストレートだし、ちょっとどう聞くべきか戸惑った部分もあったのですが、『愛の軍団』と聞き比べることで、Berryz工房というグループがこの曲を歌う魅力が増したような気がしました。
私も、アライブモーニングさんで、楽曲レビューが増えることを期待したいですw
※6
お褒めの言葉ありがとうございます。胸に刻みます……。
>開き直りの理由はある意味の絶望や悲観じゃなかろうか
には、とても同感です。
つんくさんの書く歌詞には、いつも、裏側に非観があるからこその「力強さ」があるように感じます。
働く女性のための歌っていうのは、目から鱗でした。
つんくさんもライナーノーツで、「日の目に当たる事もなく、それでも愛を持ってやり続けている人たち」への応援歌だとおっしゃっていましたが……確かに、今、そのような曲が一番必要なのは、もしかしたら、「働く女性」なのかもしれないですね。
※7,8,9
コメントありがとうございます。分かりやすいと言っていただけて、救われた思いです。
もっと色んな人に伝わりやすいような文章を書けるように頑張ります!
解散しちゃったよ
結局やってらんないってのが本音だったんですね
まあ仕方ないかな
テラダは成人女性のプロデュース出来ない人だし
10周年記念の結末がこれだったとはあまりにあんまり
この虚脱感はどうやっても埋まらない・・・