スマイレージ和田彩花のWeb連載『乙女の絵画案内』 この究極の自分語りはアイドル連載の理想形だ!

スマイレージの和田彩花が、PHP研究所のWebマガジンサイト『PHPビジネスオンライン 衆知』で、絵画紹介の連載を開始していました。
もしまだご覧になってなかったら、すぐに読んでみてください。(そしてこのサイトに戻ってきてください)読まなきゃ損です、これは。
【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 フェルメール『手紙を書く女』 | 趣味・教養 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

この連載をプロデュースしているのは、著書『世界カワイイ革命』『アニメ文化外交』で知られるポップカルチャー研究家、批評家の櫻井孝昌氏。櫻井さんのTwitterを見てみると、和田さん―あやちょと仕事をすることの喜びがいきいきと綴られていて、実にワクワク感が伝わってきます。櫻井さんと和田さんの出会いは、本当に素敵な出会いだったみたいですね。あやちょも、自分の好きな絵画を思う存分語る場を与えてもらって、とても幸せを感じているんじゃないかと思います。

櫻井孝昌氏の関連ツイート

ネットの反応

「ブログじゃなかったらこんな長文も書けるんだな」
「あやちょが話したのを編集が書き起こしてるんじゃないの?」
「絵画とかへーすごいねーぐらいしか感想出てこないから、こういう楽しみ方するのかと結構おもしろい」
「絵とかほぼ興味ないしましてや画家にも全く興味ないけど絵を見ながら読んでいてなんだか楽しかったよ」
「プロの言い回しとあやちょの言葉がうまく混ざってないwでも素直ないい文章だな」
「アイドル36房でピンで二時間以上インタビュー受けて以来
この人は色々考えていて面白い人だということは判ってた
馬鹿では真価を引き出せない」

『乙女の絵画案内』案内

さて、そんなあやちょの連載、僕は読んでみて「あ、こう来るんだ!」とびっくりしました。難しい言葉とか使わないで、あやちょらしさはそのままに、ちょっと背伸びしたくらいの言葉でキラキラとした感想が「語られて」いるんですね。
「絵画鑑賞」って高尚な趣味の代表格みたいなところがあるじゃないですか。まあフェルメールみたいな風俗画だと見たまんまなんで抽象画みたいな「難しい絵画見てもなんのこっちゃわけわかんないけど、わかったフリね」ということにはならないんですけど、大学で美術を勉強しているあやちょが絵画案内、と聞いて、てっきりこんな感じで攻めてくるんだろうと思ってたんですよ。

「…本作は、フェルメール独特の柔らかくどこか温もりを感じさせるような淡い光の表現や、背後の壁に溶け込むかのように曖昧さを見せる輪郭の描写など、これまでの技巧的特徴も示されているが、画家、すなわち観る者との直接的な意思の接触を感じさせる女の視線など、以前の作品にない、画家の明確なある種の意図も感じられ…」

でもこういう教科書的な美術解説なんて、フェルメール展でパンフレットを買うなり図書館で西洋美術全集を読むなりすれば良い話で、櫻井さんの言う「あやちょの感性」というのは、こういうのとは全く別の次元というか切り口にあります。

もちろん「主題は」フェルメールの『手紙を読む女』なんですが、「主役」は「あやちょ」なんですね。フェルメールとあやちょの出会いに始まり、フェルメールの絵から感じる「キラキラ」を、アイドルのオーラに例えたり、手紙を書く女に感情移入をして、手紙を描く行為について考えたり。
もちろん、途中「絵に隠された謎」についての話や、「カメラ・オブスキュラ」の技法のウンチクなども挟んで、読者の知的好奇心をくすぐることも忘れません。いい仕事してます。

しかし圧巻はやはり、「主役」たるあやちょが、「フェルメールの絵のモデルになったらどんな風に描いてもらいたいか」を綴った後半です。これこそ、アイドルのみに許された究極の自分語り!
あやちょはここで、まるでどこかにそんな絵が本当にあって、それを見ながら説明しているみたいに具体的な描写を見せます。

 希望がかなうのなら、自分の部屋で歌を練習している姿を描いてほしいな。誰にも見られたことも、見せたこともないシーン。私一人しか知らない世界を、フェルメールに描いてもらいたいです。

時間は夜。月明かりが窓から入っているなかに、私が一人立っている。私の場合、夜は日中より声が出づらいので、そのあたりのやりづらさみたいなのが表情に出ているかもしれません。

すごい!このロマンチシズムとナルシシズムと写実性……! 目を閉じれば、月明かりを浴びて佇むあやちょの姿が浮かんできそうな気がします。(夜中に歌の練習をするのは近所迷惑じゃないか、とかそういう無粋なツッコミは置いておいて、こういう具体的なイメージが描ける右脳型の文章を書けるあやちょは、写真や映像とかを始めても面白いものを見せてくれるんじゃないかとも思います。)

究極の自分語り

絵画について語り始めたら、最終的に自分語りになる。これでいい、いやむしろこれでなくっちゃいけないんです。アイドルに求められるのは、どこまでも自分が主役である主観性なんです。和田さんがそれを知ってか知らずか、無意識でやっているのだとしたらまさに生まれながらにしてアイドルとしかいいようがありません。でも多分、優しくて頭 のいいあやちょは、絵を語りたい自分も自分を知りたいファンも、絵画について読みたい大人も満足できるように、ちゃんと考えて語ったんじゃないかな、と 思ってます。

アイドルは、歌で、踊りで、そして文章で、どこにあっても自分が主役で、自分を表現する存在です。これが「アイドル=偶像」と言われるゆえんです。
そういう意味において、この『乙女の絵画案内』はアイドルの連載企画として完璧に近い。

『乙女の絵画案内』、第2回も大いに期待しています。

余談:あやちょはどこまで書いているのか?

2ちゃんの口さがないみんなは、これがゴーストだ、いや口述筆記だ、と色々気にしているようですが、僕はこれはあやちょの文章だ、と言っていいと思います。
編集者としての経験からいうと、これはインタビュー形式で採録したものを、本人の語り口を生かしつつ、ひとり語りの文章として編集者が構成したものなんじゃないかな、と思います。口語体で長い文章を書くのって、なれないと結構難しいですし。

<例>

本人の実際の言葉(推測)
だからきっと、風景画ってあんまり描かなかったのかなって。だって自然の風景に、こうやって小さい謎をいっぱい入れたら不自然じゃないですか。

文章化(本文より)
だから、フェルメールは風景画をあまり描かなかったのかもしれません。自然のなかの風景に、小さな謎をたくさん創りこむのは不自然だから。

ただ、あやちょが原稿用紙なりメールなりに、この文章を丸々書いて提出したのかもしれません。その可能性もありますし、それはあやちょと櫻井さんしか知りえないことですが、別にどちらでもいいんですよ。

この連載の肝は、あやちょがフェルメールの絵をどう感じ、どう捉えたかという感性の部分にあって、そのキラキラした部分を文章として表現するために最適な方法を採った、というだけの話だと思います。

これはちょうど、フェルメールが『カメラ・オブスキュラ』(ピンホールカメラみたいなもの)を使ってトレース絵を描いていたのか、それとも自分で一から描いていたのか、という疑惑(議論)にも似ています。どっちにしろ、フェルメールの残した作品の構図や色使い、テーマの卓越性に変わりはありませんよね。

ところで、今回はあやちょに触発されて口語体で書いてみましたが、いかがでしょうか。
やってみたら意外と大変だったんで、多分次回から普通に戻すと思います。

(文=宮元 望太郎)

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